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心身が疲弊しているから

支配や抑圧を受けている、

あるいは実行していて、子どものいる人が、

"私は幸せ"と言ってるのを見ると、

"あなたの子どもは? 幸せですか?"

・・って質問したくなります。



大人は選択できますが、

子どもには社会的に保護者が必要なので。



現実をありのままに受け止めることができないのは、

それだけ心身が疲弊しているからだと思います。

本当はその力を持っているのに、

自分で"できない"と決めてしまっているからだと思います。



心身が疲弊していると、一歩進むことがものすごく怖い。

危険でも、傷ついても、住み慣れた場所がいいと思ってしまう。

でも、安全な場所に非難して、エネルギーを蓄えたら、また一歩進める。

そう思います。



もうひとつ、書いておきたい事。

子どもに言ってはいけない言葉に、

子どもの発言に対して

「そんなことぐらいで」

「大げさな」

というような発言を軽んじるような言葉があります。

これも、時と場合によっては、

命に関わるような事態になる可能性を孕んでいると思います。



不安を抱えている子どもが、

それを大人に伝え、

上記のような言葉を言われた時、

その子が、受け止めてくれる、安全基地となる大人が

周囲にいるような環境で生活していれば、

気持ちを受け止めてもらったのちに

「この人はこういう人なんだ」という

認識を持てて経験的な学習に繋がるでしょうが、

そうではない場合。



「たいしたことじゃないんだ」

「言ったらダメなんだ」

と思って不安を溜め込んでいき、

「誰もわかってくれない」と

人を信じられなくなるだろうし、

溜め込まれた不安は歪んでいく事もある。

また、そんな生活環境から抜け出そうと、

勇気を振り絞って親以外の大人に

打ち明けたのに更にそのような対応だった場合、

取り返しのつかないことになる可能性だって

あるかもしれない、と私は思います。



発言を軽んじることは、

人格を軽んじることに等しいのではと思います。

要するに、

軽んじた本人も、自身を軽んじている、

ということなんだと思います。



そして、そんな自分に気づかずに

その時の気分で発言してしまっている、

ということで、上記のケースの

自分の現実を受け止められない、

という状態と同じ事だと思います。

傷ついて、疲弊しているんですよね。



大事なのは、

そのような状態に気づいて、

受け止め、安全な場所で休むこと。

注目するのは、

誰がどのように傷つけたかではなく、

どうすれば回復してまた進めるのか、

ということだと思います。

適切な処置をすれば、傷は回復し、

必ず、また進んでいける、そう思います。


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by cherish-chu | 2009-06-03 07:53 | こころについて