見守ることと放置は違う

見守ることと放置することは違うのですが、

その違いがわからずに、傷ついた子どもを

更に傷つけてしまうケースもあるようです。



機能不全家族で育つと、親子関係を、

過干渉か放任(放置)という不適切な関わりで学びます。

しかし、"子どもを見守る"というのは、

機能する家族の人間関係での、

"適切な関わり"なので、

機能不全で育った人は、そもそも

"見守る"ということがどういうことか

わからない、という状況だと思います。



そして、"見守る"ことの基盤は"信頼"です。

"信頼"は、互いに尊重し合う関係の中で生まれます。

"信じて待つ"ということですね。

機能不全家族というのは、尊重や信頼のない家族ですから、

何もしないままで、そのような感覚を実感し実践することはことはできません。



このように、"子どもを見守る"ということは、

機能不全で育った人にとっては、

最も難しいことなんですよね。

実行することは、本人次第で可能ですが、

簡単ではないんですよね。



一度学んだことを捨てて学び直す作業(脱学習)や、

尊重される経験を積んでいくこと、

いままでの溜まった感情を吐き出していくこと、

肯定の回路をつくり、慣れ親しんだ否定の回路から

変更していく地道な作業。

挙げたらキリがないほど、積み重ねの作業が

たくさんたくさんあります。



適切な関わりをしてこなかった人が、

子どもが思春期になって、

何を考えているのかわからず、

どう接していいのかわからず、

今までを後悔はすれど

"特に何もしない"ことを、

"見守る"と認識してしまうのは、

子どもとの認識のズレは著しいかと思います。



子どもは、"見捨てられた"と感じるでしょう。

"結局この人(親)は、わたし(子ども)のことなんて

ちっとも考えていない。自分さえよければいいのだ。"と。

子どもは現実をわかっています。

親が、現実に向き合えないんですよね。


植物が、それまで充分な水や栄養を与えず、

涸れかかっている状態なのに、

何もせず見ていることを"見守る"とは言いませんよね。



"見守る"というのは、必要な愛情を与えていることが前提です。



子どもが、見捨てられた怒りを、

反抗するなど、親に何らかの形で表現

できていればまだいいのかもしれません。

しかし、怒りさえ感じられず、

表面的には従順さを装っているような場合、

無意識下で怒りが溜まっていくので、

本人にさえ自覚できないような

いつ爆発するかわからない爆弾を

抱えて生きるようなものだと思います。



これまでにも適切な愛情や栄養を与えず、

その後もただ見ている事を、"見守る"とは言いません。

そのような勘違いが、更に子どもの怒りを

増幅することに気づいて欲しいものです。

私は、胸の奥深く、爆発寸前の怒りを抱えた

大人がこれ以上増える事がとても怖いです。
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by cherish-chu | 2009-06-12 13:09 | こころについて