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形に求めようとする人たち。

愛情や、”幸せ”とかいうものを、

形に求めようとする人たちがいる。

そしてそれは今も多数派のようである。

”家族揃って食事をする”

とか

”食事の内容(おかずの多さ)”

とか

なんだかそんなことのようだ。



いくら品数が多く手間をかけた料理を、

家族揃って食べていたとしても、

親の望む”理想の家族像”を演じさせられていれば

味なんてしないし、団らんどころではないだろう。



形に求めることそのものが、

愛情不足から来る発想だと思った。



このような”形”と一緒によく語られるのが、

”父親の威厳”というもの。

これを声高く主張する人は、

「尊敬されたい」「特別扱いされたい」

気持ちが溢れそうなのだろうなと思う。

その人の家庭での孤立感や居場所のなさ、

そのような寂しさを裏側に感じてならず、

これもまた、愛情不足から来る発想かと思う。



愛情を、”尊敬される”というような”形”で

求めようとしているのかと思うが、

子どもが親代わりになって

親の言うことをきいてあげているような、

あるいは親が子どもを暴力的な態度で

抑圧して無理に言うことを聞かせるような

モラルハラスメントやDVのような状態を

”親の威厳”などと言うのは勘違いも甚だしい。

威厳なんてものは、なくても子どもは育つと思う。



そもそも本来の意味での威厳のある人物なんて、

どれくらいいるのか、と思う。そんなものは、

自らハードルを上げて生き辛くするようなものだろう。

親がありのままで生きていれば、

子どももありのままの自分でいいと思えるのだから。



人がありのままに育つには、

どれだけ手の込んだ料理を

家族全員揃って食べたか、

親に威厳があるかどうか、

なんてことではけしてなく、

その人(子ども)に常日頃、

かけられた言葉や示された態度が、

どれだけ子どもを尊重するものであったか、

”子どもにとって” の愛情や糧となったか、

ということだと思う。




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by cherish-chu | 2009-11-22 22:59 | こころについて