命と引き換え?!

昨日、たまたまですが、

テレビで原発の再稼働の報道番組を見ました。


怖かったなぁ。。。


やっぱり何より怖いのは、

安心・安全に暮らす権利の侵害が、

"正しい事をしている"という認識の元で

行われることだと思いました。



私には"「経済」と「命」を引き換えにしている"

ようにしか思えず、本当に恐ろしかったです。



震災の被害を目の当たりにして私は、

『こんなに怖いものだったんだ!!』

『こんなものはあってはならない』

と震え上がったのですが、それでもやるという意見があるのは、

"危険察知能力"とでもいう感覚の違いかな、と思いました。



例えば、身の回りで暴力が起こり、

自分を守るために逃げなきゃいけないような場面でも、

普段の生活の中(家庭)で暴力(怒鳴る・叩く・無視等)

が頻繁に起こっている環境で暮らしていると、

実際に暴力に遭遇しても、「危ない!」と感じる

感覚がうまく働かない、ということが起こります。



なぜなら、そのような環境のもとでは、

普段からそうした危険を察知する感覚を

働かせていると、危険信号が鳴りっぱなしになって

パニック状態が続き、とても生きていられないので、

その感覚を遮断したり抑圧することで環境に適応するからです。



なので『危険だ!逃げろ!』という回路の変わりに

『こんなことはたいしたことではない』とか

『これくらい我慢しなきゃいけない』

というふうに回路が働いてしまうのです。



それが日常になりますから、

『危険→我慢 or たいしたことではない(のでそのままにする)』

という思考回路は強固になっていきます。



子どものころは生き延びるためそのように適応するのですが、

大人になると、逆にそれでは社会に適応できなくなる、

というかそういう大人ばかりだと社会に不利益をもたらして

安心・安全な社会を持続できなくなるので、

そうした回路に気づいて変更し、

本来の危険回避の能力を取戻さないといけないんですよね。

命を守ることとは反対の行動が身に付いてしまっているのですから。



それからもうひとつ、視野の狭さや

ひとつの考えに固執することの怖さも感じました。

例えば、経済を活性化させるためにはこれしかない、

という考え方を聞くと頭の中が疑問符でいっぱいになります。

それをすることによって、安心・安全な生活が

脅かされるとなれば尚更です。



何かを達成するのに、その道筋がひとつしかない、

なんてことはないですよね。

それは、それしか見えなくなっていたり、

今更変更できないという、意地のような

ものだったりするのじゃないかと思います。



そういう考えにも私は、

『言うことを聞かない子どもには、叩いてわからせるしかない』

と刷り込まれてしまっている親、と同じものを感じます。



それしか知らない、他のやり方を見た事がないから、

他のやり方があると言われてもにわかには信じられないし、

うまくいくはずがないという否定的な考えに支配されてしまったり、

自分もそうして育ってきたから、今更他のやり方なんて、

受け入れられない、というような感情も起こる、というような。



何事も、その人の内面の問題に繋がってくるんだと思います。

問題をそのままにすることの怖さもひしひしと感じるので、

私は私で、引き続き自身の内面とは向き合っていこうと思います。


"命"より"経済"が優先されるようなことにならないように、

安心や安全が奪われることには、NOを言い続けないと、ですね。



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by cherish-chu | 2011-07-03 23:20 | 知っておきたいこと