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カテゴリ:知っておきたいこと( 6 )

評価では人は動かない

伊田広行さんのこの記事↓を読んで・・

『教育には支配(力による指導)がいるか?』

なるほど、そういう考えなのか、と思いました。

ずっと感じていたことが繋がったカンジです。


教育に限らず、あらゆる人間関係に支配はいらないです。

支配は、人を、自分と同じ人間である、という基本の対極、

相手をモノ扱いするということだから。


まず。。。

「あなたがしていることはわるい」とか「だめだ」

というふうに表現すると、このような場合伝わらないと思う。

なぜなら、暴力や迷惑行為で自分の存在をアピールしようと

する人たちにとっては、今まで学んだことと同じだから。

自分たちが学習してきたやり方と同じでは、

今までの自身を振り返り見直して見ようと思うほど、

心を揺さぶられる経験にはなり得ない。

今まで思って来たように、

「ウザイ」「説教なんて聞きたくない」

と感じて終わるだろうと思います。経験から。


「あぁ自分は、今までなんてことをしてしまっていたんだ」

と、他者を傷つけた自分に向き合うまでに深く自分を省みるには、

まず自分自身が己の傷つきに共感し慰められ、

乾いた心に水分、栄養を与えられることが必要です。

そういう追いつめられた状態の人に、

「だめ」「わるい」という”評価”は、

逆にその人の耳を塞がせてしまいます。


基本、自分がされたことを他者にしています。

自分がされた傷つき体験を、ほぐして癒すことなくして、

相手を思いやる気持ち、「そういうことをされたらどんな気持ちか」

という想いが湧いてくることはないのです。


心を閉ざしてしまっている人には、

「だめ・わるい」という評価の言葉は最も届きません。

聞かされ過ぎて縮こまっているからもう聞きたくないのだから。



人が何かをするのには、理由がありますよね。

暴力的なことをするにも理由があるのです。

そのような行為の裏に隠れた気持ちは、

人を困らせることで気づいて欲しいと訴えています。



行為のみを「だめ・わるい」と評価することでは、

人の心は揺さぶられません。反対に閉じていきます。

今までされてきた傷つき体験と同じなんです、やり方として。

そのしくみを知ること、体験することが、

教育の現場でも求められていると思います。



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by cherish-chu | 2011-11-23 12:53 | 知っておきたいこと

マニュアルと根底の基盤

子育てにマニュアルは必要。

しかし、必ずしも

マニュアルどおりにしたからといって

適切だとは限らない。


例えば、

Aというの子どもの問いかけに、

マニュアルどおりBと応えたとしても、

その親の表情や態度に、心の奥底に

(親自身も気づいていないかもしれない)

怒りや不安や存在不安が渦巻き、

言葉の裏側に

「あなたのままでいい」という存在の肯定という大前提、

「あなたのことを大切に思っている」という

関係性の核となる大切なものの存在がなければ、

いくらマニュアルどおりに対応したとしても、

物事が、流れるように進み、自然になるようになる、

というふうにいかないのだと思う。



逆に、その時、疲れていたり、忙しかったりで、

マニュアルどおりの、適切な対応ができなくとも、

上述した「あなたのままでいい」というような

基盤がしっかりと核をなしていれば、

その後の修復も適切に行えるだろうし、

自然な流れで物事が適切に進んでいくのだと思う。



なので、Aの場合にBとしなかったから、

子どもの心に影響があるか、というような問いかけは、

時に必要だが本質的ではないと思う。

要は、その子が必要とする栄養を、

日頃どのくらい摂取できているか、ということで、

栄養の総量がまあまあ足りていれば、

その一回がそんなに影響することはないだろうし、

日頃から足りていなければ、その一回のダメージは、

足りている場合の何倍にもなるだろう。



だからこそ、親が蓄えている、

子どもにあげられるだけの、

子どもが必要な栄養がどれくらいあるか、

ということが本質的な問題になってくるのだと思う。



一方でマニュアルは、やはり不可欠。

困った時の道しるべになると共に、

スキルを増やすことができ、

何より、今の自分の状態を知ることができる。


適切な対応がむずかしい、あるいは

子ども時代にそのような対応を経験したことがない、

ということは自分を知る大きな手がかりになる。



また、そのマニュアルも、

その子どもの特性によって変化するだろう。

どの子も同じように感じるとは限らない。



子育てには、根底に、親の

「あなたのままでいい」という、

物事を明らかに見て、受け止める、

そのような基盤が必要であり、

そのために、親自身が、

今の自分の状態を知ることが

大切なのだと、改めて思う。



基盤を取り戻すのは、容易ではないが、

決して不可能ではない。

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by cherish-chu | 2011-09-04 17:36 | 知っておきたいこと

役割云々の前に人として

Ustreamで、昨日行われた
東京大学最先端科学技術センター所長 児玉龍彦 教授 講演
『福島原発事故に対する緊急提案』
を見ました。

こちらはそのニュース映像です。


途中何度も言葉に詰まり、あるいは沈黙し、

その後振り絞るように訴える言葉の数々にはやはり胸を打たれたので、

国会でも起こったお話のあとの拍手がここではなかったことには

私は違和感を感じました。

質疑応答の中でも児玉先生と聞き手の間に温度差を

感じる事がありましたが、それでも先生はブレない。

しっかりと言いたいことを最後まで伝えておられたと思いました。

また、このような温度差や違和感の原因となるものが、

困っている人たちを支援する政策や施策が遅々として

進まないことの根本原因であるかのように感じました。



国会での発言後、励ましや賛同の意見はもちろん、

批判もいただいたとのことで、どのような批判ですかという問いに、

「感情的にならず、教育者・科学者なのだから

科学の言葉でもっと冷静に話しなさい」のような意見もあったそうです。

私は、「えーー?!そこがいいのに!」と思いました。

科学者だから、教育者だから、ということでこのように話すべきと

表現方法を決められる、というようなことはイヤだな、と思います。

役割云々の前に、人としてあのような感情になるのは当然、と思いました。

私は、今のままの先生のお話がまた聴きたいです。


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by cherish-chu | 2011-08-13 14:14 | 知っておきたいこと

命と引き換え?!

昨日、たまたまですが、

テレビで原発の再稼働の報道番組を見ました。


怖かったなぁ。。。


やっぱり何より怖いのは、

安心・安全に暮らす権利の侵害が、

"正しい事をしている"という認識の元で

行われることだと思いました。



私には"「経済」と「命」を引き換えにしている"

ようにしか思えず、本当に恐ろしかったです。



震災の被害を目の当たりにして私は、

『こんなに怖いものだったんだ!!』

『こんなものはあってはならない』

と震え上がったのですが、それでもやるという意見があるのは、

"危険察知能力"とでもいう感覚の違いかな、と思いました。



例えば、身の回りで暴力が起こり、

自分を守るために逃げなきゃいけないような場面でも、

普段の生活の中(家庭)で暴力(怒鳴る・叩く・無視等)

が頻繁に起こっている環境で暮らしていると、

実際に暴力に遭遇しても、「危ない!」と感じる

感覚がうまく働かない、ということが起こります。



なぜなら、そのような環境のもとでは、

普段からそうした危険を察知する感覚を

働かせていると、危険信号が鳴りっぱなしになって

パニック状態が続き、とても生きていられないので、

その感覚を遮断したり抑圧することで環境に適応するからです。



なので『危険だ!逃げろ!』という回路の変わりに

『こんなことはたいしたことではない』とか

『これくらい我慢しなきゃいけない』

というふうに回路が働いてしまうのです。



それが日常になりますから、

『危険→我慢 or たいしたことではない(のでそのままにする)』

という思考回路は強固になっていきます。



子どものころは生き延びるためそのように適応するのですが、

大人になると、逆にそれでは社会に適応できなくなる、

というかそういう大人ばかりだと社会に不利益をもたらして

安心・安全な社会を持続できなくなるので、

そうした回路に気づいて変更し、

本来の危険回避の能力を取戻さないといけないんですよね。

命を守ることとは反対の行動が身に付いてしまっているのですから。



それからもうひとつ、視野の狭さや

ひとつの考えに固執することの怖さも感じました。

例えば、経済を活性化させるためにはこれしかない、

という考え方を聞くと頭の中が疑問符でいっぱいになります。

それをすることによって、安心・安全な生活が

脅かされるとなれば尚更です。



何かを達成するのに、その道筋がひとつしかない、

なんてことはないですよね。

それは、それしか見えなくなっていたり、

今更変更できないという、意地のような

ものだったりするのじゃないかと思います。



そういう考えにも私は、

『言うことを聞かない子どもには、叩いてわからせるしかない』

と刷り込まれてしまっている親、と同じものを感じます。



それしか知らない、他のやり方を見た事がないから、

他のやり方があると言われてもにわかには信じられないし、

うまくいくはずがないという否定的な考えに支配されてしまったり、

自分もそうして育ってきたから、今更他のやり方なんて、

受け入れられない、というような感情も起こる、というような。



何事も、その人の内面の問題に繋がってくるんだと思います。

問題をそのままにすることの怖さもひしひしと感じるので、

私は私で、引き続き自身の内面とは向き合っていこうと思います。


"命"より"経済"が優先されるようなことにならないように、

安心や安全が奪われることには、NOを言い続けないと、ですね。



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by cherish-chu | 2011-07-03 23:20 | 知っておきたいこと

悲しいドラマ

子どもが出演するドラマを見ていると、

とても悲しく残念な気持ちになることがあります。


そのひとつは、その子どもがとても”良い子”だと感じる時。

それが理不尽でも大人の言い分を聞いてあげる聞き分けの良さや、

いつもハキハキと、大きな声で元気のよい様子などなど・・


悲しいのは、”子どもはそういうもの”で

それが”正しい・正解”である、ような表現の時です。



元気がいい様子はもちろんそれでいいのですが、

子どもは明るく、活発で、大きな声であいさつができ、

素直にごめんなさいが言えて、親の言うことを良く聞く、

子どもはそうでなければ、というように思ってしまっている親御さんが、


ドラマを見て「うちの子は引っ込み思案で聞き分けがない」

とマイナスに考えてしまい、架空の子どもと比べて

”子どもの性格を治そう”なんてことになったら大変です。


そうならないように、明るく活発で聞き分けが良いことが

”正解”のような表現にはして欲しくないなと思います。


制作者側も、やはり「それが良い」と思っているのではないか、

と感じることもしばしばあるので。


”そうじゃなくてもいいんだよ”

というメッセージも、どこかでさりげなく入れてくれるような、

そんな画期的かつ希望に溢れたドラマなら、毎週欠かさず見ます。

ブログでもTwitterでも、宣伝して応援したくなりますし、

番組のスポンサー企業も、見直しますね( ̄▽ ̄)ノ

ドラマが子どもの個性の尊重に繋がるなんて、素晴らしいですよね。



・・もうひとつ悲しいのは、相変らず暴力が正当化されることです。

先日もドラマで、大人にせがんだ子どもが突き飛ばされていました。

私は、それを見て森田ゆりさんの

しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじに出てくる

(親に突き飛ばされた子どもがはずみで失明してしまった)事例

を思いだし、そんな行為がドラマでは正当化されていたので

「ああ、またか」と本当にイヤな気持ちになりました。



そのような事故が起こる可能性のある関わり(暴力)を、

「子どものことを思っているから・愛情があるから」

というふうに表現してしまうのは本当にやめて欲しいです。



事故が起こるだけではもちろんありません。

制作者の方に最も言いたいのは、

そのような「愛があるから」という行為の向こうには、

今日も、この瞬間も、「おまえのため」と言われて

怒鳴られ、叩かれ、突き飛ばされて傷ついている

子どもたちがいるということです。

それによって子どもたちの笑顔が奪われ、

悲しみと苦しみを背負わされている、ということです。

子ども自身も気づかないうちに。



「それをする大人も辛い」というのなら、

そんな辛い思いをしなくてすむ伝え方、

子どもも怪我や傷ついたりしなくてすむ関わり方があります。


なのに、そういう危険な手段しか知らずに今もそうしている大人たちに、

「子どものことを思っているんだよね」と言ってしまったら、

その大人たちが変わるきっかけも奪ってしまいます。



そのような表現は、悲しみと苦しみ、怒りや憎しみ

の再生産を後押しする、後ろから支える、

そういう可能性もあるんですよね。

そのことを知っている大人が増えたら、そういうドラマも

作れなくなるだろうと、思います。

悲しく、残念で、かつ危険でもあるそういう表現が、

テレビからもなくなることを心から願っています。


しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ

森田 ゆり / 童話館出版

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by cherish-chu | 2011-06-23 17:05 | 知っておきたいこと

伝わる気持ちと、傷つける言葉

いろんな支援のメッセージが溢れる中で、
ストレートに伝わって来たのがこちらの動画です。



見ているうちに、涙が溢れていました。
言葉の選択や、その見せ方、そして音楽などの伝える技術、
どれをとってもさすがアメリカ、と感じました。
そこにある強い気持ちが、そのまま伝わってきます。

日本でも、テレビなどでいろんなメッセージが
流れてくるのですが、こちらのCMをみて、
言葉よりも音楽のほうが摩擦なく伝わりやすい状況、
というのはあるのかもな、と思いました。

さまざまに流れるメッセージの中には
”どうしても違和感を感じる”ものも少なくなかったのですが、
ある日Twitterでこちらのブログ記事を見つけて、
その違和感を見事に表現してもらった、と感じたのでした。

「そうやんなぁ、そう思うよなぁ」って、すごく共感しました。
この記事はなんと1万9千もツイートされているようで、
読んで心動かされる人が多かったのだろうと、思います。

心理学 総合案内 こころの散歩道HPに、
被災者を傷つけないためにというコンテンツがあり、
その中の「被災者を傷つける言葉」にはこれらが挙られています。

引用ここから〜
・がんばってください
・前向きに行きましょう
・早く忘れましょう
・泣いてはいけません
・気持ちはわかります
・私にはとても耐えられません
・あなたはまだまし

〜ここまで (心理学 総合案内 こころの散歩道HPより)

ものスゴく頑張っている人に、
「頑張ってください」というのもそうですし、
「気持ちはわかる」というのも、ドラマなどで、例えば
犯罪被害者の遺族に対して「お気持ちはわかりますが・・」
みたいなセリフを言うのはほんとによく見かけます。
テレビは思っている以上に影響力が高く、それを見た人が
「こういう時はそんなふうに言うのか」
と学習してしまうことも多いと思うので、
もう少し考えて欲しいと思うことのひとつです。

こういう、場合によって不適切な言動が特に厄介なのが、
”それが善意から発せられていること”なのかな、と思います。
良かれと思って言っている、というのは、
傷つけようとして言っていることよりも、
こちらが声をあげにくいこともあるし、
傷ついている時は、気力も体力もないので、
「もう、いいや」となってしまうこともあると思います。

違和感を感じるメッセージというのは、
発する側の、同じ目線ではなく、
斜め上から眺めているような、そんな姿勢が
受け手に伝わっている、ということなのかもしれません。

こういう時は、いろんなことが浮き彫りになるし、
また、改めて考えるきっかけにもなります。
知ることの大切さも、痛感します。
ただ、情報過多による脳疲労も気遣ってあげないと、ですね。

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by cherish-chu | 2011-04-19 14:15 | 知っておきたいこと