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主体性の問題と禁止令

カウンセリングを受けていたとしても、

当事者自身の

”変わりたい”

”取り戻したい”


という心の底からの叫びとでもいうような

強い想い・気持ちがないと、

”カウンセリングに通っている、通院している”

というだけのことになってしまい、

本来の目的である

”成長・育ち直し・取り戻し”

という意味をなさなくなってしまうんですね。



それは、内側から変化する、というのでなく、

外側に”カウンセリングに通う私”を

アクセサリーのように身につける、

とでもいうような奇妙な状態だと思います。



”ありのまま”にバツをつけ、

自分のままでは足りないと思っていて、

例えば母とか妻などの”役割の鎧や仮面”

を身につけて虚飾してきた中に、

同じように”カウンセリング”が加わった、

というような状態だと思います。



そこに、本来の目的である

”治癒”とか”成長”が存在しないんです。



これは主体性の問題だと思います。

このままではいけない、なんとかしたい、変わりたい、

と”私が”思う
のではなく、

このままでは何か言われるから、

カウンセリングに行かないと、と言われたから、

見捨てられるかもしれないから、

嫌われるかもしれないから、

母親としてどうか、と思われるだろうから、

カウンセリングに行けばなんとかしてくれるだろうから

etc.etc...

すべて主体が”他者”であるということなのだと思います。



そして

そのような感情を無意識はしっかりと読み取り、

今の自分の状態、現実を、

その気持ちに添わないもの、

見たくない現実、向き合いたくない自分、

というものを”本当に見えなくする”

というようなこともあるんですね。



以前書いた「ジョハリの窓」の、

盲点の窓・・・自分は気づいていないが他者は知っている自己

ということが起こるんですね。

自宅で火事が起こっているのに、

在宅中の本人に火が見えていない、

というような。

子どもには火が見えているので、

親にけんめいにSOS(問題行動など)するのですが、

当の親は、

「この子はなぜこんなに問題行動ばかりするのか」

と、子ども自身に原因があり、

”この子がおかしい・この子がわるい”

というような解釈をし、

自分の問題として受け止めることはないようです。



家庭内がそれほど危険な場所になっているにも関わらず、

それでも親は、本当に気づいていない

ということが起こってしまうんですね。



”子どもの気持ち”というものを無視して、

親の言う通り、思い通りに育てる、

多くの家庭で今も見られる

命令や指示などの禁止令ばかりで子どもに関わっていると、

このような主体性のない、

そしてそのこと気づくことすら困難な、

生き辛さを抱えてしまうかもしれないので、

本当に、子どもとの関わり方には気をつけないと、

真剣に考えていかないと、と思います。



専門家の元でカウンセリングを受ければ、

問題の明確化や方向の修正など

あらゆる場面で助けられることはあっても、

向き合うのは自分

実践するのも自分


であるということなんですよね。
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by cherish-chu | 2009-09-29 14:13 | こころについて

今日の一枚 秋だねぇ♪

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季節をしみじみと感じるのです。



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by cherish-chu | 2009-09-28 14:54 | 今日の作品

ジョハリの窓

ジョハリの窓とは

アメリカの心理学者JosepLuft(ジョセフ・ルフト)
とHarryIngham(ハリー・インガム)が発表した
円滑な対人関係のために考案されたモデルで、
2人の名前をとってジョハリの窓と呼ばれるそうです。


これは自分自身を知るための考え方のひとつとして
とてもわかりやすいと思いました。


このモデルによると、人にはそれぞれ、4つの側面があるそうです。

A 開放された窓(Open Window)・・・自分も他者も知っている公開された自己
B 盲点の窓(Hidden Window)・・・自分は気づいていないが他者は知っている自己
C 隠された窓(Blind Window)・・・自分は知っているが他者には隠された自己
D 未知の窓(Dark Window)・・・自分も他者も知らない自己


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コミュニケーションを円滑にするには、
Bの領域を狭めてAの領域を増やすフィードバック
そして
Cの領域を狭めてAの領域を増やす自己開示
が大切だそうです。

開放部分が広がることによってDの未知の部分の発見に繋がり、
気づかなかった能力が開けるという素晴らしい方向へ進む、ということなんですね。


開放領域(A)が少なく、盲点(B)や隠蔽(C)領域が多いと、
自分が"そのつもり"でしていることが、
他者からはそう見えない、というズレやギャップが大きくなり、
”理解してくれない””まわりに馴染めない”といった
ストレスの原因になることもあるようです。


フィードバックする、という観点からも、
自分を知るためには
"他者の話を聴ける"気持ちの余裕が必要なように思います。

他者の話を聴く余裕を持つには、
まず自分が話を聴いてもらうことなんですよね。



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by cherish-chu | 2009-09-26 22:05 | こころについて

ミリキタニの猫

ミリキタニの猫というドキュメンタリー映画を観ました。
80歳のおじいさんの心の解放の物語です。


この映画は観る人に、戦争の恐ろしさ、愚かさと共に
"人はいつからでも変わることが出来る。
遅過ぎるということはない。"

ということを伝えてくれていると思います。


ニューヨークの路上画家、ジミー・ミリキタニ。
第二次大戦中、日系人ということで、
アメリカの強制収容所に送られ、
大きな心の傷を抱えたまま生きて来られました。


そんなミリキタニさんが路上で絵を描き続ける中、
監督と出逢うことで始まる物語です。


冒頭、登場するミリキタニさんの眼差しは、
他者を寄せ付けないような鋭いものでした。
それが徐々に、本当に子どものような澄んだ目になり、
嬉しそうな、柔らかな笑顔も見せるほどに変化していくのです。


私が涙したのは、DVDの特典映像です。
2006年にミリキタニさんがニューヨークで個展を開きます。
壁一面に展示された作品群に、
思わず感情がこみ上げて涙が止まらなかった。
本当に、よかったなぁと。


60年もの間、怒りと悲しみを閉じ込めて来た方の再生。


個展でハッテンドーフ監督や友人がお祝いのスピーチをする中、
ミリキタニさんは、その会場でもう次の個展のための絵を描いてるんです。
スゴい、と思いました。生きている限り、描き続けるそうです。


ミリキタニさんが何よりスゴいのは、絵を描き続けることで
怒りや悲しみを他者にぶつけなかったことではないかと思います。
満たされないものを満たそうとして、他者を道具にしなかったことだと思います。


だからこそ、全てを変えるきっかけになった
ハッテンドーフ監督との素晴らしい出逢いも、
起こったのではないでしょうか。


そんなハッテンドーフ監督が、特典映像のインタビューで、
広島の平和式典に訪れた時のことを尋ねられ、
最も感動したのは、子どもたちの平和への誓いで、
ぜひこの場で紹介したい、と読み上げておられました。
素晴らしいのでここでもご紹介します。


2007年 広島平和記念式典 
子ども代表による平和への誓いより抜粋

『嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。
でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。
同じことがいつまでも続くだけです。

平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、
自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。

そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、
相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。』



レンタルDVDで鑑賞できるようです。↓予告編


Cats of Mirikitani [DVD] [Import]

Arts Alliance Amer

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2001年9月11日、世界貿易センターが瓦解する緊張状態のニューヨーク路上。
騒然とした周囲をよそに、いつもと同じように平然と絵筆を動かしている男がいた。
彼の名はジミー・ミリキタニ、80歳。カリフォルニアで生まれたが、第二次世界大戦中、
日系人強制収容所に送られ、アメリカに抵抗して自ら市民権を捨てた。
その時から彼の反骨の人生が始まった。
彼の80年間には何があったのか・・・、
そして彼の描く猫の絵に込められているものとは・・・
公式サイト 解説より



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by cherish-chu | 2009-09-23 15:51 | スゴい人

"気づかないことに気づく"

茂木健一郎さんの著書ひらめき脳にこのような記述がありました。


"気づかないことに気づく"

これはどういうことなのか要約すると、

072.gifスランプの状態にあるということは
本当は自分を救ってくれるはずの
大切なことに「気づいていない」状態である。

072.gif客観的に自分を見つめることは
「なぜ自分は気づかないのか」を考えること

072.gif科学でも人生でも何でも
「気づかないということにいかに気づくか」
ということが重要。

ということだそうです。


そして、そのような気づきを

"人生の素晴らしい瞬間"

と表現されており、まさにその通り、と嬉しくなりました。



私も、モヤモヤ・ザワザワする時には、

自分では全体を見渡しているつもりでも

どこかに視点の偏りがあったり、

あるいは特定の思考に囚われていたり、

自身ではなかなか気づかないような原因がある、

という"気づかないこと"

"話すことによって気づいた"ので、

以来、共感的傾聴のできる人に

聴いてもらうことによって

視点を広げ、思考を修正する、

ということを繰り返しています。



そのたびに茂木さんの言われる、

人生の素晴らしい瞬間

を味わうことができるので、

このような、自分に向き合う作業も、

徐々に苦痛ではなくなってくるのですね。



本によれば、このような瞬間、

脳の中では「ドーパミン」を中心とする

報酬系(脳にとってうれしいことを処理するシステム)

において神経伝達物質が放出されるそうです。

脳が喜んでいるんですね。

本当に人間の身体はよくできているなぁと感心すると共に、

感謝の気持ちが湧いて来ます。


ひらめき脳 (新潮新書)

茂木 健一郎 / 新潮社

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by cherish-chu | 2009-09-22 12:54 | スゴい人

切なる願いの集積

エンパワメントセンター・森田ゆりさん

メールマガジン最新号によると、

韓国最大の福祉財団「子ども財団」で、

8月からCAP(子どもへの暴力防止プログラム)を

全国展開することになったそうです。



CAPのワークショップを行う韓国のスペシャリストさんたちは、

なんと"フルタイムの仕事"として実施するそう。

多くは、福祉系大学を卒業した20代の若い男女だそうです。

そしてそのような若い人たちを支える年配幹部の方たちも、

プログラムの実践開始に熱い期待をかけ、目を輝かせておられるそうです。

あぁ、すごいなぁ。素晴らしいなぁ。

日本の場合と根本的に違うのは、このような

財政的基盤がしっかりした中で展開できるということでしょう。

メールマガジンに書かれてある通り、

10年後、20年後には本当に韓国の全ての子どもたちが

CAPプログラムを受けることが可能になると思います。



メールマガジンのバックナンバーには、

台湾や韓国では、国が民間NPOに国家予算や自治体予算をまわして、
子どもと女性の暴力の根絶に邁進している


というような記述もありました。

日本では、そのようなことに対して

大人たちは未だ

隠そうとする、なかったことにする、

先送りにする、逃げようとする、

問題をすり替える、正当化する、

そのようなことに躍起になっている、

そう感じられてなりません。



子どもたちの安心・安全のために行われる活動は、

"子どもたちのため"であって、

"大人の自己実現の道具"にしてはならないと思います。

そのような姿勢も、活動が成就するかどうか、

長続きするかどうかに影響するのでしょう。



私は、あきらめずに

今の自分にできること、

そして

自分を大切にすること、

をしていきたいと思います。



このたびの韓国のような動きは、

一人ひとりの

"自分自身を大切にしたい"という

切なる願いの集積なのではないでしょうか。
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by cherish-chu | 2009-09-20 16:11 | 気持ち

ルールは皆のために

そもそもルールっていうのは、

集団の中で皆が暮らしやすいように、

安心・安全のためにあると思うんですよね。



誰かが欲求を満たす為にやりたい放題をして、

他の人が安心を奪われたりすることがないように。

法律もそうだと思います。



皆が暮らしやすいように、なので、

その集団の同意が必要だと思うんですよ。

不自由になるためのルールなんて必要ないですもんね。



しかし、その集団が"家族"になると、

どうも"親の都合"で

"親が欲求を満たす為にやりたい放題して"

"子どもの安心が奪われている"のに、

それを"家族のルール"と言ってしまう、

"問題のすり替え"が行われることもあるんですね。



子どもの気持ちや意見を聴くことなく

親が一方的に決めるのは、

ルールじゃなくて"押し付け"だと思います。



そうすると、

ある集団が安心・安全に暮らすためのもの、

という本来の意味はなくなり、

一方が他方を支配するためのものになるのですが、

そのような支配・被支配が当たり前の環境に育ち、

平等とか尊重とかの人間関係を経験していないと、

違いがわからなくなるのかなと思います。



例えば自分の属する集団で、

皆の意見を聴くということを飛ばして、

勝手にルールを決めてそれを守れと言われたら

私はすごくイヤだし、大切にされてないと感じます。

政権交代も、そのような姿勢にNOを言う声が

高まって起こったんじゃないかと思います。




私はこうしたいと思う、あなたはどうしたい?

それぞれの意見を聴いて皆でどうするか決める。

それがコミュニケーションですよね。

家庭でそれが行われることにより、

子どものコミュニケーションも養われるのだと思います。
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by cherish-chu | 2009-09-19 19:30 | こころについて

子どもに愛情をもらおうとするってどういうこと?

先日中身が伴わないという記事に書いた、

愛情を子どもからもらおうとすること

というのはどういうことなのか?書きたいと思います。



まず愛情溢れる人が子どもに愛情を注ぐことと、

そうでない人が子どもに愛情を注ぐ"真似"をする、

ということの違いは、

その人(親)が自己肯定できているかどうか、

ということがひとつあると思います。



というのも、子どもから愛情をもらおうとしなくてすむ、愛情に溢れた人と、

自己肯定ができている人、というのはイコールだと思うからです。

自己を肯定する、ということは、自分に愛情を注ぐことなのです。

自分に愛情を注げる人は、他者にも注げるので、子どもにもそうできます。

そのような理由から、

"どのような行為が子どもに愛情をもらうことなのか?"

ということよりも、

"自己を肯定すること、ありのままの自分でよいと本当に思えるまでは、

子どもに愛情をもらおうとすることがあるかもしれない"

というふうに考えて、

"自分に愛情を注ぐ、または注げる人からもらうことから始める"

ことなのじゃないか、と私は考えます。



なぜなら、そもそも

愛情は感じるもの・感覚だからです。

例えば、食べたことのないものの味を、

いくら"こんな味"と説明されても、

やっぱり実際に食べてみないとわかりませんよね。

これも味覚という"感覚"だからです。



それともうひとつ、機能不全家族で育ち、

思考がこのように習慣化されたり認知の歪み

が生じることにより、愛情を愛情と感じられなくなる

ということが起こっているかもしれないので、

愛情をもらう、ということと平衡して"認知の歪みを修正する"

という作業も必要だと思います。



例えばこんなことです。

"心の読み過ぎ"や"レッテル貼り"が働いて、

他者の優しさを「何か裏があるんじゃないか」などと疑ったり、

"マイナス化思考"や"すべき思考"が働いて、

他者が親切心から手伝ってくれたり、助けてくれたりしても、

「あの人は私を能力がないと思っているから助けた」とか、

「こんなことで助けてもらうなんて、私はダメだ」などと思ったり。



傷つき体験から他者との関わりを恐れて表面的な関わりに終止し、

優しさや愛情といった一歩踏み込んだ関わりを初めから拒否する、

というようなこともあるでしょう。

このようなせっかくの愛情(優しさ)を台無しにし、

愛情を満たすチャンスを自ら棒に振ってしまう、

というようなことが起こるかと思えば、

うわべだけの優しさを愛情と思い込み、

満たされない思いを更に募らせるようなこともあるようです。

これも専門家の元で、あらぬ方向へ向かわないよう、

チェックしてもらいつつの定期的・長期的な歪みの修正

が必要だと私は思います。



とにかく私は、"頭で悩むより実行することはいっぱいある"と思うんです。



そして、何より。

自身の親との関係の傷つき体験、

あの日あの時、イヤだったこと、

悲しかったこと、寂しかったこと、甘えたかったこと、

こうして欲しかったこと、こうしたかったこと、

そのようなことを聴いてもらう、

共感してもらう、慰めの作業の過程の中で、

「あぁ、あの時私は、母に愛情を与えていたのだ。」

「あの時母は、私に愛情を求めていたのだ。」

と自身の経験からその感覚を掴むことにより、

子どもに愛情をもらおうとするとはこのようなことだったのだ

ということを理屈でなく"体得する"のだと思います。



ちなみに、愛情溢れる、自己肯定できる人には、

"愛情を注ぐ真似"と、"自身の愛情を注ぐという行為"とは

"感覚として"明らかに異質と感じるのだと思います。
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by cherish-chu | 2009-09-17 23:43 | こころについて

投影性同一視(Projective Identification,PI)

〜投影性同一視(Projective Identification,PI)とは〜


○●精神分析家メラニー・クラインによって1946年に提唱された、
一種の防衛機制である。



○●自身を省みる力が弱っている場合など、
自分に向き合う代わりに他者を鏡のように利用すること。

例えば利己的な自身の姿を、他者の中に映し出し、
鏡に向かうようにその相手を身勝手だと攻撃する。

他者という鏡を通して「わるい自分」を映し出す。
そしてその他者に向かって憎悪や敵意をあらわにする。
こうすることで自己嫌悪に向き合うことを回避する。

自己嫌悪を他者嫌悪にすり替えることで、
わるいのは全て他人ということになるので、
自分は良い人・できる人のままでいられる。



○●他者の救済というかたちで表現されることもある。
救いを求めている自分自身を他者という鏡に映し出す。

本当に救われたいのは自分自身なのだが、
実際に自分で自分を救おう(変わろう)とすると、
「見捨てられた自分」という傷つき体験に向き合わなければ
ならなくなるので、そのような苦痛を避ける為に、
利用できそうな他者を探し出し、そこに映った他者を
救おう(変えよう・気づかせよう)とする。



○●投影性同一視の例(親子関係)
自分の劣等感や存在不安を持ち、"良い母でなければいけない"
という考えを捨てられない母親が、承認できない劣等感や存在不安を
隠すために、自分は子どもを思う良き母であるかのように振る舞う。

そして子どもは、実際には伸ばせば光る能力を持っているにも関わらず、
母親は、いかにその子が不十分でダメな子であるかのように扱う。

見下したような扱いや、子どもが理解できないことがあると、
大げさにため息をついて「こんなこともわからないの・・」という
目つきで見たり。このような関わりが続く中、子どもは、母親が操作した
通りに自分自身を不十分でダメな子だと感じるようになった。



○●防衛機制の投影との違い
投影は、自身が承認できない感情や欲求を相手が持っていると
責任転嫁することで自責の念を和らげようとする事
(例:自信のなさをカバーするために攻撃的になっている人が、
似たような人に対して相手も敵意を持ち攻撃してくると思い込み、
さらに憎み、攻撃する)
であるが、投影同一視は、自身が承認できない感情や欲求を
他者に転嫁し、更に他者がそのように振る舞うように仕向ける。




これらはすべて無意識下で行われるそうです。

他者を利用しているというつもりは全くなく、

本当に相手をそう思っている、ということなんですね。

防衛機制は、自分を守るために必要な働きで、

誰でもやっていることなのですが、

それが"過度"になると、守るものではなくなり、

現実への不適応の原因になるようです。

私はこのような知識を得て、

こういう状態に陥りたくないので、

いつも「自分はどうだろう?」と考えたり、

専門家や信頼できる人に、

「どう思う?」と聴いたりするようにしています。
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by cherish-chu | 2009-09-17 11:26 | こころについて

かのようなパーソナリティ(as if personality)

〜かのようなパーソナリティ (as if personality)とは〜


○●精神分析学者H. Deutsch(ドイチェ)が提唱した
境界例(境界性人格障害 Wikipedia)の特徴の一つ。


○●一見、周囲に適応している"かのように"見えるが、
他者と情緒的な深い関わりを持つことができず、
表面的な順応状態を繰り返す。


○●ちょっとした原因でバランスを崩し、キレて暴れたり、
悪態をついたり、あるいは急に泣き出したり、
手首を切ったりなどするが、このような混乱は
ずっと続くわけではなく、感情の嵐が通り過ぎれば
再び何も問題がないように振る舞ったりする。


○●自己と対象との区別が達成されず、自我同一性が
確率していないため、環境次第で目前の対象との
表層的・一次的な同一化を繰り返し、一貫性に欠ける。

(問題はあるにしても、とりあえずまわりの人たちに
合せていれば自分をごまかすことができるとの思いから
その場その場でいい子を演じ、他者に迎合することで
心の中を覗かなくてすむ。自分に向き合うなどということ
よりは、堪え難い空虚感には目をつむり、
相手に合せて気楽にしていた方がいい。)


○●時には、どのような仮面をかぶればいいのかわからなくなり、
見境なくまわりの人に同調し、その人と同じになろうとする。
それは自分というものがないためで、目の前の人と
同じになることで、心の空白を埋めようとする。


○●as if状態が高度に発達すると、
高機能型境界例と呼ばれるようなタイプになる。
これは、高度な適応能力を持っており、
普段はまったく問題ないように社会に適応し、
社会人としての役割を担い責任感も持っているが、
境界例としての一面も持ち、突然のストレスに
さらされた時などに、境界例的な混乱状態が発生し、
破滅的な行動をとってしまう。



以上、調べものの覚え書きです。

人間は、生き延びるために、

無意識下でさまざまな働きを

しているのだなぁと思います。
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by cherish-chu | 2009-09-16 15:11 | こころについて