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削除して欲しい

ニュースを読んでビックリ。

”「日本子ども虐待防止学会」(小林美智子会長)は28日、さいたま市で総会を開き、
親が虐待対応の妨げになっているとして、親権の一部を一時的に制限し、
親の「懲戒権」の条文を削除するなどの民法改正を求める意見書を発表した。
(中略)また、親が虐待を「しつけ」と正当化する根拠となっている
懲戒権を定める民法822条を削除するべきだとしている。”
2009年11月29日 asahi.comより

■懲戒権(822条)
親権者は、必要な範囲で自ら子を懲戒できる(同条1項)。


”懲戒権”。こんなものが民法に存在することに非常に驚きました。

何やら恐ろしげで、上から目線のイヤなカンジがします。

児童虐待がこの”懲戒権”の行使として起こる場合もあるそうです。

こんな恐ろしいもの、いらない、と思いました。



”懲戒権”に関しては、

「しつけ」と「違法な体罰」との区別は難しい、

というような意見も多いようですが、

現代のような、コミュニケーションにおいて

成熟しているとは言い難い社会で、

このような”区別の難しい”あいまいな解釈を

そのままにしておくのはやめて欲しいです。

子どもの命に関わることはもちろんのこと、

そこまでいかなくとも、

子どもの権利に対する親の意識という、

根本的かつ重要な問題に繋がると思います。

それは、直接子どもの生きる力に関わる重大事です。



親にコミュニケーションスキルがあれば、

”懲戒”なんて必要ないですよね。

なくなって欲しいです。




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by cherish-chu | 2009-11-29 22:17 | こころについて

形に求めようとする人たち。

愛情や、”幸せ”とかいうものを、

形に求めようとする人たちがいる。

そしてそれは今も多数派のようである。

”家族揃って食事をする”

とか

”食事の内容(おかずの多さ)”

とか

なんだかそんなことのようだ。



いくら品数が多く手間をかけた料理を、

家族揃って食べていたとしても、

親の望む”理想の家族像”を演じさせられていれば

味なんてしないし、団らんどころではないだろう。



形に求めることそのものが、

愛情不足から来る発想だと思った。



このような”形”と一緒によく語られるのが、

”父親の威厳”というもの。

これを声高く主張する人は、

「尊敬されたい」「特別扱いされたい」

気持ちが溢れそうなのだろうなと思う。

その人の家庭での孤立感や居場所のなさ、

そのような寂しさを裏側に感じてならず、

これもまた、愛情不足から来る発想かと思う。



愛情を、”尊敬される”というような”形”で

求めようとしているのかと思うが、

子どもが親代わりになって

親の言うことをきいてあげているような、

あるいは親が子どもを暴力的な態度で

抑圧して無理に言うことを聞かせるような

モラルハラスメントやDVのような状態を

”親の威厳”などと言うのは勘違いも甚だしい。

威厳なんてものは、なくても子どもは育つと思う。



そもそも本来の意味での威厳のある人物なんて、

どれくらいいるのか、と思う。そんなものは、

自らハードルを上げて生き辛くするようなものだろう。

親がありのままで生きていれば、

子どももありのままの自分でいいと思えるのだから。



人がありのままに育つには、

どれだけ手の込んだ料理を

家族全員揃って食べたか、

親に威厳があるかどうか、

なんてことではけしてなく、

その人(子ども)に常日頃、

かけられた言葉や示された態度が、

どれだけ子どもを尊重するものであったか、

”子どもにとって” の愛情や糧となったか、

ということだと思う。




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by cherish-chu | 2009-11-22 22:59 | こころについて

どんどん褒められよう!

これはいいアイデアだと思いました。

ここで出てくるたくさんの褒め言葉の中に、

言って欲しかった言葉があるかもしれませんね。

ほめられサロン

このようなコンセプトだそうです。

『子供のころはご飯を残さず食べたからとほめられた。
社会人になると日常生活においてほめられることは稀です。
プログラマーがどんなに素晴らしいコードを書こうが、
主婦がどんなに美味しい食事を作ろうが感謝される機会はごくごく少ないのである。
そこで私たちは裏方さんを中心にいつも頑張っているあの方たちへ
感謝の気持ちをコンセプトにこの「ほめられサロン」を制作しました。』


職業や年齢別などで褒め言葉が違うようで、

設定を変えて試してみてもいろいろ面白かったですよ。

肯定的な言葉は、心の栄養です058.gif



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by cherish-chu | 2009-11-13 20:06 | お知らせ

過保護と心の栄養失調

一般に言われる"過保護"とは、

子どもの欲求を先回りして叶えるとか、

構い過ぎて子どもの問題解決能力を阻む、

ようなことを言っているようなので、

それは”過干渉”になるのでは、と思いました。



子どもの世界や、子どものプライバシーと

自分のそれを混同して、

境界線が引けないようなこともそうですね。



何が子どもにとってよくないかというと、

”もっとかまって欲しかった”

”もっとこうしたかった、して欲しかった”

という大人自身の欲求を

”そんなに子どもにかまうのは過保護だ”

としてしまうことなんだと思います。

それは嫉妬であり

子どもの頃満たされなかった記憶が刺激され、

その欲求を満たそうとする働きの第一歩としての、

インナーチャイルドのSOSなのですが、

おおよそ自身も同じように

わがままだ、過保護になって自立心がどうの、

と言われてきたでしょうから、

同じように子どもの欲求を否定・批判してしまうんですよね。



欲求が満たされることによって次に進める、

精神的に発達・成長していくので、

このように過保護になる・わがままになると言って

子どもの欲求を満たすことを阻むのは、

身体が栄養失調になることと同じで、

心が栄養失調になるようなもので、

予想以上の大問題なんですよね。

母子手帳に記載して欲しいくらいです。



例えば、私が出産した当時(10数年前)でも、

”抱きグセがつく・ついてはいけないから

泣いてもすぐに抱っこしない”

なんて迷信のようなもの、

という認識はあったのですが、

現在でもそのようなことを信じている

赤ちゃんのお母さんもいるようです。



できるかぎり抱いてあげた方がいいんです。

それが赤ちゃんの人を信じるちからに繋がるのです。

生きていくためには不可欠なちからです。

泣いても抱っこせず無視するようなことが続くと、

例えばサイレントベビーと言われる、

他者と関係を持つことをあきらめてしまうような

深い心の傷を負うようなことも充分あり得るのです。



経験から、抱くのが辛いのは、疲れているから、

本当は自分が抱っこしてよしよしして欲しいから。

心の疲れは肩こり・腰痛など身体にも出ることもあります。



育児が辛くて疲れやイライラが溜まっているけど、

助けてもらうことが恥ずかしいとか情けないとか、

そういうことを言っている場合じゃないように思います。

借りられるちからは借りたらいいと思います。

育児で大事なのは、

自分がどう思われるか、どんな親かということより、

子どものこころが満たされることですよね。




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by cherish-chu | 2009-11-12 15:26 | こころについて

背筋の寒くなる話

それにしても、

大変な事件を起こす容疑者の親というのは、

なぜああも他人事なのかと思いますね。

愛情や責任というものは微塵も感じられず、

ただただ保身と自己の正当化に必死、

そのような印象を持ちます。

だからこそ、子どもがこんな事件を起こすのだな、

育てたように育つのだな、という感想と共に

薄ら寒い思いがします。



さて、話は変わって。

同じきょうだいでも、その子によって

親の関わり方があまりに違う、

下の子にはそうでもないのに、

上の子にはまるで毛嫌いしているかのような、

あるいは感情のはけ口にしているか、

親の助手扱いとでもいうような

態度の母親を目にする事が多かったので、

専門家の方に聴いてみたことがありました。



すると、要するに、

上の子を感情のはけ口にすることで

ある程度気が済む、ので

下の子にはそうせずに済む、との事。

背筋が寒くなりました。



上の子は、以前ここに書いた

スケープゴート(家族の問題を行動化)
イネイブラー(家族を支える役)
プラケーター(家族の慰め役)


という役割を背負わされ、下の子は

プリンセス・プリンセス(お人形)

という役割を背負っているということなのでしょう。

下の子への愛情が本物なら、

上の子への関わりがそのようになるはずもないですから。

いずれにしても子は親の道具にされているわけですね。



また、この役割はケースバイケースで、

下の子がはけ口になるような場合もあるようです。



このような事柄からも、

とても子育てが辛そうで、疲れている保護者が、

また新たに子どもを産もうとしていると聞くと、

本当にビックリしてしまいます。

現状認識がうまくいかないのか

何をどのように考えているのか知る由もないですが、

子育てというのは、愛情を惜しみなく注ぐ作業であると思うので、

自身が愛情で満たされていない人には向かないと思います。



親の愛情飢餓や子どもへの関わり方によっては、

子どもを歪めてしまう可能性もあるわけです。

これ以上、歪められて育った大人が増えると

治安も悪化しようというもの。

社会の安全に関わる話だと思います。



人生で起こるすべてのことには意味があって、

子どもを授かったことにも何らかの意味はあるのでしょうが、

その”意味”を”見出す”ことがなければ、

意味も意味として生きてこないのでしょう。



事実は小説より奇なりと言いますが、

このような話を聞くと

幽霊やお化けよりも生身の人間の方が余程怖い、

と思ってしまいます。

背筋の寒くなった話でした。
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by cherish-chu | 2009-11-11 06:43 | こころについて

そのこと自体が勉強不足

過去に囚われていると

今を生きることはできない。



だからといって、

過去に蓋をしてしまっても

今を生きることはむずかしい。



囚われた過去に解放を。



”常識”とか、”フツウ”とかいうものを

基準にして振り回されることも、

過去に囚われることと同じだと思う。



さて、思うのだけど、子どもに

”勉強しなさい”と言うのが当たり前のようになっている親は、

自分が子どもの時に同じことを言われて

うっとうしく思ったことはないのだろうか?



うっとうしく思っていたとしても、

自分も同じことを言うのは、

”そういうものだ”と思っているのだろうか。



だとしたら、そのこと自体が”勉強不足”のように思う。

そのようなアプローチは、子どもの主体性ややる気を削ぐ、

という説は、けっこうメジャーになりつつありますよ。




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by cherish-chu | 2009-11-06 22:54 | こころについて

音楽と記憶

音楽と記憶の結びつきにはスゴいものがありますね。

ふと思いついて久々にこのアルバムを聴きました。

マイケル・ジャクソン ”Off The Wall”。

1曲目の"Don't Stop 'Til You Get Enough"

イントロ部分を聴くと、当時の気持ちが蘇ってきます。

好きな曲がかかって、フロアに飛び出して踊る時の、

あのワクワクと嬉しい・楽しい気持ち。

自然に身体が動いてリズムをとってしまいます。

詳しい事柄でなく、気持ちが浮き上がってくるのです。



最近では、悲しい・辛い記憶より、

楽しい・嬉しい・充実感を思い出すことの方が多くなりました。

前者の記憶が、慰められ落ち着いてきたということなのでしょう。

ザワザワ・モヤモヤで知らせる必要がなくなってきたのですね。



”願い”ということについて考えます。

こうしたい、こうありたい、こうなりたいという気持ち。

止むに止まれぬ、そうしないではいられない、

あたかも、おごそかな存在に突き動かされているかのような、

そのようなものが、本来、人を動かすのだなぁと。




そんなふうに気持ちが動かないのは、

心と身体が疲れているんだと思います。

心と身体を休めて動くのを待てばいいんだな、と思います。

探しても見つからないのは、

いらないものが溜まっていて、

それを覆い隠しているんだと思います。

いらないものを丁寧に手放せばいいんだなと思います。



音楽を聴きながら、さまざまな想いを馳せました。

オフ・ザ・ウォール(紙ジャケット仕様)

マイケル・ジャクソン / SMJ

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by cherish-chu | 2009-11-05 13:17 | 気持ち