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サポートする、ということについて

建築家の安藤忠雄さんがasahi.comのインタビューで、被災された方に対して、
〜引用文ここから
『私たちにできるのは、国を挙げて、国民を挙げて
「サポートされている」という実感をもってもらうこと。』

ここまで〜
とおっしゃっていました。

数々流れて行くメッセージの中でも、
私はこの言葉にとても共感し「まず気持ちに寄り添うこと」が、
何らかの被害や抑圧を受け力を奪われた人にとって
いかに重要で、大切であるかということを、
今まで思っていた以上に改めて深く感じました。

生きるため、生き延びるために、
これ以上ないというくらい必死で頑張っている人に、
更に「頑張れ」という声がけをすることは、場合によっては
「これ以上どう頑張れというのか」という無力感・疲労感や、
「気持ちをわかってもらえない」という孤立感などで、
残るわずかな生きる力まで奪ってしまうような可能性もあります。

そして、
「こうしていれば・ああしていれば」
「こうすればいい・ああすればいい」
という分析や方法論は、ともすればそのように力を奪われた人から
更に力を奪うこともある、ということも、改めて感じました。

親が子どものためを思って、よかれとすることが、
子どもにとって本来の意味でプラスになっていなければ
子どもの力を奪うことになるのと同じように、

支援される側が「サポートされている」と感じていなければ、
それは支援でなくなる場合もあるということなんだと思いました。

何事にも、それにふさわしい
時期やタイミングがあるのだと思います。

身近な例で言えば、
宿題をまさに今やろうとしている時に、
「宿題やりなさい」と言われた時の、
一瞬でやる気が奪われるあの感覚のように、

支援される側のニーズにも、段階や時期で変化があり、
まずその人の気持ちに寄り添うということがなければ、
そういう行き違いが起こってしまうのだと思います。


そのような思いから、
"解決志向型"の、なぜそうなったのか?という、
その人の問題や原因に視点をおくのでなく、
その人が、すでに持っているけれど気づいていない資源に
目を向け、活用していくというセラピーを思い出しました。

それは、森田ゆりさんの言われる、
『すべての人は皆、生まれながらに
素晴らしい生きる力を持っている』
という視点においても、とても有効だと思いました。

問題を解決し改善する時、
その人自身の問題や原因に焦点をあてることは、
時にその人の力を奪うことに繋がり、
その視点そのものが更に新たな問題をつくりだす、
こともあるのだ、と感じたからです。


気持ちに寄り添う、ということは、
「その人のありのままを受け止める」ということ。
「あなたのことを気にかけています」という気持ちが伝わり、
受け手の心が動き、前に進もうとする原動力に繋がること。


平時には聞き流せるようなことも、
有事という誰もが心の余裕をなくすような状態では、
とても受け流せない、ということも起こります。
実際に、多くの有名人が失言で謝罪していますよね。


分析や方法論を役立てるためにも、
まずその人の本来持つ力を信じ、寄り添うこと。
そのことの大切さが、今までとはまた違った視点で、
より深く、心に広がったように感じています。

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by cherish-chu | 2011-03-26 20:43 | こころについて

■追記ありで再送します■【すべての方へ】災害時のメンタルケア(追記あり)

このような時にはとても必要なことと思い、
Twitterで得た情報をmixiのつぶやきで
昨日流したのですが、追記があったということと、
広くたくさんの方々に見ていただければとの思いから、
こちらで改めて転載させていただきます。

【すべての方へ】災害時のメンタルケア(追記あり)←←こちらのブログより転載

-------------------転載ここから-------------------

3月13日午前に知り合いの臨床心理士からとても有益な情報をいただいて
この記事を流しましたが、この情報についての説明を「追記」として
3月14日夜に掲載したものをあらためて流します。
元の記事を各方面に転載したりメールしていただいた方も、できればこの
「追記」の部分のみでかまいませんので、流していただけるとうれしいです。


(追記)
【災害時のメンタルケア】は、
トラウマ療法であるソマティック・エクスペリエンス®(SE)の
療法家(米国在住)から届いたサポートメールを
SEプラクティショナーであり臨床心理士の藤原千枝子と
SEトレーニーであり臨床心理士である牧野有可里がまとめたものである。


【災害時のメンタルケア】

◆1.今こそ自分自身のメンタルケアを。


今はまだ地震直後であり、だれでもアドレナリンが噴出している時です。
こういう時は何かをしたくてたまらなくなりますが、
まずはその自分自身の感覚に意識を向けてみましょう。
細々意識してみることをトラッキングといいます。
自分自身に対するサポートを最初にしてください。

私たちが落ち着いているか、
不安エネルギーをまき散らしているかによって、
様々なことが違ってきます。

◆2. テレビの視聴には気をつけてください。
*特にお子様、感受性の強い老若男女の方々。


身体がだるくなったり、ボーッとしたり、涙が出てきたり、
妙な罪悪感が湧いてきたり、不安状態にある自分に気づいたら、
即刻テレビを消すか、必要なニュース速報のみが流れてくる
全く違う番組にしてください。

テレビで繰り返し繰り返し流される悲惨な映像は、非常に強い吸引力を持ちます
(とかく最近のメディアは人々の不安をあおるのが特徴です)。

人によっては催眠にかけられたように
テレビの前から動けなくなる人もいるでしょう。

こうした映像に何度も何度も自分をさらすことは、何の役にも立ちません。

***私たちが生きていく為に必要な情報が得られれば、
それだけでいいのです!***


トラウマの渦の引っ張り込む力はとてもとても強力です。

サンフランシスコ大地震の時は、繰り返されるメディア報道が
人々にもたらすネガティブなインパクトは甚大だったといいます。


◆3. 今一番に必要なのは、身の安全を確保することです。
避難場所、食べ物、人々が安全かどうかをチェックすることが優先です。


◆4. そして非常時に最も大切なのは、人とのコミュニケーションです。
人を求めるのは、とてもとても自然なことです。


その時の自分の思いを言葉にして、所属するコミュニティでシェアしたり、
身近な人に伝えてみてください。もちろん、手段はメールでも構いません。
「メールに書きながら落ち着いてきました。大丈夫です」
とおっしゃる方、多いです。


☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

特にメディアが繰り返し繰り返し流す悲惨な映像によって
距離が保てなくなり自分が生きていることに罪悪感を感じてしまったり
全く逆に現実感を失って自分がここにいる感覚がボンヤリしてしまったり
・・・という声が私の元に次々届いております。
それで上記の文章を配信することにしたのですが、
「私の状態がそうでした!!そうだったんですね!」
という反応が今度は返ってきています。

水城先生の方でも
もしよろしければ
情報としてご使用ください。
・・・というか
是非皆さんに教えてあげてください。

自分を見失うことなく
冷静な判断ができるように。

命が守られますように・・・。


-------------------転載ここまで--------------------

今回追記の中で、この文章をまとめられた方の中に
ソマティック・エクスペリエンスの藤原千枝子さん(HPはこちら
のお名前がでており、ピンと来て調べたところ、
私が以前からこのブログのライフログで紹介しているこちらの書籍↓

心と身体をつなぐトラウマ・セラピー

ピーター リヴァイン / 雲母書房

スコア:


を翻訳された方であることがわかりました。
文章に対してより安心感を持てたのと同時に、
やはり、本当に必要なことは繋がっているのだと思いました。
また、アンテナを立てていれば、
必要な時必要なことが入ってくることも。

この記事を読んでから私はテレビはあらましの情報だけ
(自分にとって役立つ事)手に入れる手段にしています。

その他は、Twitterやインターネットなどで、
”否定的・批判的な表現”をする人は避け、
”肯定的な表現、または事実のみをわかりやすく伝えてくれる人”
の情報を選んで取り入れることをこころがけています。

また連日の報道には胸が痛むことはもちろんですが、
何よりも気になったのは、未曾有の大変な被害を受けた方への、
インタビューです。このような状態にある人には、
もちろん”適切な対応”が求められるのですが、
”共感的傾聴”や”心の応急手当て”などの
知識のないような人が話を聞きだすことが
果たしてどうなのか、ということがとても気になります。

例えば、傷ついて血が噴き出しているような時に、
気持ちに寄り添おうとしてくれる人には心も開きやすいですが、
話のタネにと、興味津々で何があったか聞き出そうと
する人は、近づいてこられるだけでもイヤです。
それは、回復の妨げになるどころか、二次被害とも言えます。

どうかそんなことが起きませんように、祈っています。

こういう時こそ、内なる力に出逢うときなのかも知れないと感じています。
未だ起こっていないことへの不安に飲み込まれて自分を失わないよう、
客観的な視点を持ちつつ、エネルギーを奪うような情報からは
遠ざかって自分を守っていきたいですね。

最後に、"水の反映"ブログのMIZUKI Yuu様、
有益な情報を本当にありがとうございました。
私もそうですが、この情報で落ち着かれた方は
本当に多いようです。感謝いたします。

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by cherish-chu | 2011-03-15 14:50 | こころについて

何回目かの(^▽^;)お誕生日♪

今日はわたくし、何回目かの(^▽^;)お誕生日でして、

ステキ〜なお祝いをしていただきました〜016.gif

オレンジさんがケーキとお花を用意してくれました056.gif
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美味しそうなイチゴのタルトにのっているミニーちゃんは、

ローソクなんです♪ お誕生日も何回目かになると、

年の数よりこっちのがだ〜んぜんイイ!!ですよネ (^-^;

カワイイ〜〜053.gif
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そして、しばらく見蕩れていたのがこのお花056.gif

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実物はもっとキレイな色で、

ガーベラもバラもすごくいいピンクなんです。

その花に似合っている色っていうカンジがしました。
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持ち手のところに結んであるリボンもまた、

最近なかなか見かけないけど「そうそう、これ!こういうの好き!」

っていうビビッドな色のピンクで、同じピンクでもこんなに

いろんなピンクがあるんやぁ〜って感動しました016.gif

なんだか、年齢を重ねるほど、花が好きになっているように思います。


他にもオレンジさんの粋なはからいがあったりと、

ホントにいいお誕生日になりました。

この一年も、いいことありそうヾ(⌒∇⌒)ノ 

ぼちぼち、ゆっくりやっていこうと思います。

お祝いしてもらってほんとに嬉しかったです。

ありがとうございました016.gif
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by cherish-chu | 2011-03-08 23:09 | 気持ち

イメージと感情という刷り込み要因と・・いろいろ。

うつなどの症状で家事など身の回りのことができなくなってしまうのは、
当事者にとっては本当に辛く苦しいのですが、
その苦しみがまわりの人になかなか理解されず、
そのことが様々な誤解や軋轢を生むようなことも多いです。


身の回りのことができなくなる要因のひとつは、
エネルギーが奪われ枯渇してしまい、
こころも身体も休養を必要としているから、
ということももちろんあると思うのですが、
もうひとつ、こんな原因もあると思うんですよね039.gif


例えばある人が、大人になり自活するまでに、
家庭で家事の方法を教わっていたとしても、
それが実際にそのまま訳に立つかというと、
必ずしもそうとは限らないようです。


それは、”あいさつしなさい”や
”勉強しなさい”といくら指示されたとしても、

その人がそれを”したい”と思わなければ、
あるいはしようとするエネルギーを奪われていれば、

監視者(しなさいと言う人)がいないところではしない、
というのと同じような意味で、です。
(自主的にするのではなく、
それをしないと怒られるからする、ようなこと)


なのでそれは、
”その行為(あいさつや勉強や家事)が
どのような「感情」と結びついているか”
ということが関係してきます045.gif


どういうことかというと、
例えば機能不全家庭の子どもが、

”子どもらしく過ごしたい(遊びたい)”
”甘えたい””かまって欲しい”

という気持ちを抑え込み、寂しさや悲しみを抱えたまま

”将来のために家事を覚えなければならない”
”育ててやっているのだから手伝うのは当たり前”

とばかりに親に家事手伝いをさせられ続けたら、
その人にとって家事は、その時の”惨めさ・悲しみ・辛さ”
という”不快感”とセットになって刷り込まれる、
ということです。家事=不快というように。


まず満たされる必要のある欲求があるのに、
誰かの都合でやりたくないことを強制されるというのは、
どんなことでもイヤだし、そんなことを強要され続ければ
二度とやりたくなくなってしまうこともあるでしょう025.gif


そしてまた、親が怒りや不満をそのままに
生活(家事や仕事)していれば、
その生活自体が、この世界そのものが、
”とても厳しく辛いところで、生きるためには
イヤなことも我慢しなければならない”
のようなイメージが刷り込まれてしまうのだと思います002.gif


自分が未だ食べたことのないものを、
毎日毎日イヤな顔をして不味そうに食べるところを
見せられ、その食べ物に”イヤな、不味いもの”
というイメージを持ってしまう、というふうに008.gif


日常生活への意欲そのものが奪われるような状況ですね。


このように、家事や身の回りのことができなくなることは、
そうした過酷な環境で生きのびるためにエネルギーを使い果たしたことと、
生活習慣に対するイメージや感情も影響しているんだと思います。


こうやって書いてみても、これまでよく頑張って来たなぁ、
本当にスゴいことにチャレンジしてきたなぁと
思うくらいで、当事者は本当にフルマラソンを毎日
走るかのような大変さを感じているのですが、
まわりにはなかなかそのようには伝わらず、
人によっては”怠けている””ラクをしている”
あるいは”大げさ”であるかのように思われる
こともあるので、辛いところですよね。


もちろん、どんなことでも、経験してみないとわからない
こともあるでしょうから”伝わる人に伝えればいい”のでしょうね。


でも、伝わらない辛さを感じている人は、
決して少なくないと思います。多いかも知れませんね。


日本では、勤勉とか努力とか根性とか我慢とか
書き出すだけでしんどくなるような言葉が
未だ美徳のように語られることもありますし、

”自分がガマンしてやっていることを
人がせずに済むことがガマンできない”人も
少なくないようですから・・( ̄∇ ̄;)


それでも、大変なことほど乗り越えた達成感も大きいので、
私はやっぱりあきらめないんですよね058.gif
達成感の”歓喜”を余す事なく味わいたいから。
どーしても味わいたいから。
ひとつひとつ達成した時に見えて来る新しい世界も、
ものすごーーーく楽しみなんです016.gif


自分を癒すエネルギーのたねは自分の中にあるから、
困ったら人の力も借りつつ、自分で自分に共感し、
讃え、愛情(エネルギー)を与えていこうと思います。
自分で自分を承認し、与えることが出来れば、
他者からの承認はそれほど重要でなくなるんですよね。

結局のところ、人の力を借りることも、
自分で与えることの一つなんだと思います。

そうやって、人のあいだで循環していくんだろうな〜って。


ああ、そんなふうにもっと成長したい!!(^▽^;)


想像すらできない過酷な状況を生き抜いて
輝きを取戻した世界の偉人と言われる人たちも、
そういうふうに自分を支えて来たんじゃないのかな〜
・・な〜んて、思うんですよね〜058.gif

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by cherish-chu | 2011-03-04 16:14 | 生き辛さの対処法